若年性パーキンソン病を発症してから様々な葛藤がありましたが、今回は子育てをしていく中で経験した葛藤を書きたいと思います。
以前、本か何かで読んだのですが若年性パーキンソン病の大変なところは年齢が若いため子育て中だったり、仕事をバリバリしていたりと重要なポジションにいる人が多いと書いていました。
私も診断当初は看護師をしていましたし、2人の子供(娘と息子)の母親でもありました。
仕事の方は私でなくても代わりにする人がいますが子供たちの母親の代わりはいません。
だからこそ病気が少しずつ進行していくのを実感しながらの子育ては葛藤の連続でした。
若年性パーキンソン病と戦いながらの子育て
若年性パーキンソン病を発症してからは薬が欠かせない生活になった事を以前の記事でご紹介しました。
薬は飲んでいれば、すぐに動ける状態になる。
薬を飲めばなんてことなく生活できる。
そんな風になれたら良いのですが、なかなかそうはいきません。
娘が朝「髪の毛くくって」と言ってきても朝からそんな細かい動きは出来ないのです。
いつの頃からか娘は自分で髪を結う練習をし自分で結って学校へ行くようになりました。
「髪を結う練習になったからいいと思うよ。」と言われればそれまでなのですが、私の病気のせいで本当は結ってほしいけど諦めて自分で結うことにした。
という経緯があるので私としては髪を結ってあげることも出来ないという情けなさでいっぱいになりました。
授業参観の時などはジスキネジア[1]パーキンソン病の症状の1つで、自分の意思に関係なく手足などが勝手に動いてしまうことが出たらどうしよう、歩きにくくて小刻みになったり突進するような歩き方になったらどうしよう、そんなことばかり考えていました。
私はジスキネジアが酷い時に笑われたことがあるのですが、もし学校で私のジスキネジアを見て友達が笑ったりしたら子供たちはとても傷つくと思います。
自分の親を笑われた悔しさ、悲しさは計り知れません。
そんな事なら私は行かない方がいいのでは?と考え始めていました。
若年性パーキンソン病でも妊娠している事が分かった時に思ったこと
そんな時、第3子を妊娠していることが判明しました。
病気なのに大丈夫なの?と言う人もいます。
私自身、上の2人を妊娠した時は心から喜べたのに今回は喜びより不安が強く、同じ我が子なのに素直に喜んであげられないことに罪悪感を感じていました。
お腹の子がいつか自分のお母さんは他のお母さんと違うと思う日がくる、そのことでイジメられるかもしれない。
しばらくは妊娠を継続するか悩みましたが、私は生み育てる決心をしました。
薬もドパコール以外は中止していたので妊娠後期は自分でお風呂に入るのも難しく、食事も作る事が出来ませんでした。
出産後、初乳だけは飲ませたいという希望があったので「初乳は少しだけで、出来るだけ早くミルクに切り替える」という話になっていました。
しかし、私の体の状態があまり良くなく出産後すぐに薬を増やした方が良いだろう!と言うことになり初乳を諦め私の体調を整えることになりました。
授乳室に行くのは本当に辛かったです。
他の赤ちゃんは母乳を飲んでいるのに我が子はミルク…別の授乳室があったらいいのに!と思いました。
薬を飲んでいるから仕方ないと頭ではわかっていても心がついてこず悩んでいた時、妹から「姉ちゃん、長男を生んだ時のこと覚えてる?あの時は完全母乳で初乳もちゃんとあげたけど、生まれてすぐRSになったじゃん!関係ないよ!」と妙に納得する内容のLINEが届きました。
出産から11ヶ月経った今、次男は喘息持ちではありますがとても元気です。
まとめ
若い年齢でパーキンソン病を発症すると結婚、出産を諦めると言う記事を読んだことがあります。
その気持ちはよくわかります。
将来パートナーや子供に迷惑かけるくらいなら生涯独身でいようと。
わかりますが、そこまで病気になった自分を責めなくても良いのではないでしょうか?
確かに若年性パーキンソン病の症状と闘いながらの子育ては「こんなこともしてあげられない」と葛藤の日々ですが出来ることをしたらいいと思います。
出来ない出来ないと言って自分を責めているお母さんより、いつもニコニコしているお母さんの方が子供たちは大好きだと思いますよ。
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References
↑1 | パーキンソン病の症状の1つで、自分の意思に関係なく手足などが勝手に動いてしまうこと |
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